
【レポート】助成事業シアター&アーツうえだ「ともだちが来た」公演の立ち会い コーディネーター研修プログラム2026
はじめまして。
コーディネーター研修プログラム、第三回のレポートを担当させていただく南澤諒真です。
普段は、長野県上田市のNPO法人リベルテにて、福祉とアートにまつわる仕事をしています。
今回は、同じ街の住民として、福祉とアートに関わる仕事をしている身として、レポートしていけたらと思います。
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8月29日、コーディネーター養成プログラムの第三回のフィールドワークとして、上田市の一般社団法人シアター&アーツうえだ「ともだちが来た」公演を鑑賞しました。
「ともだちが来た」の公演は、犀の角・やどかりハウス・hanpoによる演劇上演計画『変わる・代わる・替わる』のプロジェクトとして企画されたものです。
公演のレポートに入る前に、このプロジェクトのあらましを。
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以下引用)
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犀の角・やどかりハウス・hanpoは、生き辛さや困難を抱える人たちと出会い、交流し、対話する場をそれぞれに開いてきました。これらの活動に関わる私たちは、「支援する/される」という関係性ではない、新しい何かを人間同士の営みの中から生み出すことが出来ないかと模索を繰り返してきました。この度、戯曲『ともだちが来た』(作:鈴江俊郎)を私たちの間に置いてみることにしました。若者と死者との対話を描いた戯曲を通して、「悩める自己」ではなく「想像が及ばない他者」と向かいあったとき、私たちの関係性にはどんな変化が生まれるのでしょうか。上演へ至るいくつかのプロセスを社会に開示し、一緒に考えてもらおうとプロジェクトを企画しました。一部始終にお立ち合いいただければ幸いです。
”
犀の角
上田市の中心部、海野町商店街に位置する劇場・カフェ・ゲストハウス・コワーキングスペースを備えた複合文化施設。上田が「変な人でも住みやすい街」であり続けられるよう、さまざまな出会いや交流を生んでいる。
やどかりハウス
コロナ禍をきっかけに上田の街中に誕生した誰でも駆け込める「雨風しのぐ宿」。上田を拠点とするNPO法人場作りネットが、犀の角と協働しながら運営している。
hanpo
長野で暮らす「いきづらさ」を抱えて生きる当事者が、当事者のためにフリーペーパー&ウェブメディアづくり、イベント企画、居場所活動を行う。
(「ともだちが来た」フライヤーより抜粋)
ケアの現場で発生する「支援する/される」という一方通行で向かい合う関係の間に、「ともだちが来た」という戯曲を置いてみることによって、互いの関係性がどのように変容していくのか、というプロセス全体が今回のプロジェクトであり、公演はそのプロセスの一環として位置付けられています。
公演には、「やどかり版」と「hanpo版」の2パターンがあり、「やどかり版」には、やどかりハウスの初期から利用している丸山晴燈さん、しののめさん、「hanpo版」には、hanpoメンバーの草深将雄さん、武居祐貴さんが出演されています。
事の始まりは、シアター&アーツうえだ代表の荒井洋文さんが、丸山晴燈さん、しののめさんに「ともだちが来る」の戯曲を演じてみないかと誘ったところからでした。荒井さんは、やどかりハウスに来る人とスタッフとの関係に行き詰る部分を感じて、一緒に演劇を作りたいと思いたったものの、それぞれの抱えているものが大きく、なかなか形にはなりませんでした。ある日、やどかりハウスを通過して、それぞれの居場所を獲得していった丸山さん、しののめさんと話す中で、今なら一緒に演劇を作れるのではないかと思えたそうです。
それぞれ60分ほどの公演で、台本はほとんど同じです。
戯曲のあらすじは、以下の通りです。
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蒸し暑い夏の日。セミの声。
私は床にはいつくばっている。
そこへ、亡くなったはずの高校時代の友人<友>が自転車に乗ってやって来た。
久しぶりの再会に、昔話がよみがえる。
「俺、お前が来てくれてうれしいよ。」
消えた友と過ごす、つかの間の夏休み。
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ここからは、公演や、荒井洋文さんとの会話で印象的だったことをレポートしていきます。
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演技について
まず初めに、出演された4名の演技について。今回のプロジェクトは、色々な視点から語りが出てくるものだと思います。ケアとして、これまでのやどかりハウスの取り組み、戯曲について、演劇における当事者性についてなど、色々な話題があるかと思いますが、まず初めに、4名の演技について触れたいです。すごく力強く、鬼気迫っていて、とてもカッコよかったです。
それは、当事者性からだけではなく、役と向き合い、稽古を重ねた結果なんだと感じました。プロジェクト全体の意義や価値の手前として、4名の表現にとても感動しました。
開演前から序盤にかけて、なぜかすごく緊張しました。何が起こるのかわからない、得体のしれない、どちらかというとケアの現場に似たような緊張を自分は感じました。客席とステージが近いから、演者の緊張感も伝わってきました。
舞台表現を見ると、自分は、演者に自分の身体を預ける、という感覚を持ちます。数十分の間、舞台にいる「あなた」に自分を預けて、公演に集中していくような感覚です。序盤の緊張感は、自分を預けられるのか、、という緊張だった気がしています。
演者の中には、街ですれ違ったり、見かけたことがある人もいます。街で見かける彼女は、とても小さくて、いつも眠っています。
場面が進行するにつれて、演者の4名の存在感はどんどん大きくなり、安心してその場にいることができるようになっていきました。
生きづらさを感じる当事者だから、という側面もありますが、丸山晴燈さん、しののめさん、草深将雄さん、武居祐貴さん、であるからこその表現だったのではないかなと思います。
お祭りではなく、通過点
次に、印象的だったのが、荒井洋文さんが語っていた「この公演は、お祭り的な要素もあるが、通過点でもある」という言葉です。今回のプロジェクトは、”演劇上演計画”と名付けられています。それは上演を目指すのではなく、戯曲と向き合うこと自体が目標であり、上演に向かっていく過程の中で、起きることを眼差していくため、だそうです。個人的には、普段、障害がある方とモノづくりをする中で、できたモノではなく、モノをつくるということや、その人と素材がどのような関係性を結んでいくか、という部分をもっと面白がっていいし、価値を感じていいんだ、という勇気をプロジェクトからもらいました。
実際に、当事者性の高い戯曲であるからこそ、様々なトラブルや波乱があり、上演をしないのであれば、どんな形で発信するかの検討もされたそうです。戯曲の中身と、演者の過去が呼応して、巻き起こったことを、荒井さんは「嵐」と表現していました。
さらに、この過程を開示し、一緒に考えてもらうために、上演までに様々な取り組みがされています。上演に関わるメンバーの手記が掲載されている「ままならない新聞」、「ままならない演劇部」と題したチラシ配りや稽古時のご飯作り、舞台設営などの関わり方、戯曲を読むワークショップ、など上演に至る過程が開示され、様々な方が参加されています。
上演に向かって、人を巻き込み、盛り上がっていく様は、ある種のお祭りのようでもあると言えます。一つの目標に向かって、みんなで作り、コミュニティが育まれていく。
荒井さんは、これを「お祭り」であると表現していて、今回の演劇上演計画は、お祭りではなく、通過点にしていかないといけないと語ります。
その一つに、演劇をやらないかと誘った立場として、出演した若者がそれぞれの役を演じることで、「自分」から離れることができて保てているバランスを、終演後もフォローしていく必要があると感じていることがあるとのことでした。「自分」から離れる手段を獲得することの価値と、演劇に引き摺り込んだ責任を感じているそうです。
さらに鑑賞という行為の中で、「消費」について考えました。事前に、上演に至る過程についてSNSで目にしていたものの、自分はそこには参加せず、公演のみに参加しました。おそらく、過程に参加した人と、自分とでは見方や公演から受け取るものが異なると思います。上演に至る過程全体が今回のプロジェクトでもあるなら、公演だけ見ることにどんな意味があったのか、についてはまだ言語化はできていません。プロフェッショナリズムを「消費」するだけではない演劇を模索するという意味も、今回のプロジェクトにはあると伺いました。公演を見て、アフタートークでそれぞれの話を聞き、消費的ではない公演の形はどのようなものなのか、ということもぐるぐると考えています。公演になると、見る↔︎見られる、という関係性があり、開かれた制作の過程とは違った関係性が生まれます。公演をどう受け取ったらいいのか、ということの難しさがあるプロジェクトだと感じました。
終演後に何が起こるのか、それぞれの関係性や、感覚がどう変容したのか、自分自身が感じることも含めて、これからも眼差していけたらと思います。
他の参加者の問い
今回の研修プログラムでは、幕間に荒井洋文さんとの座談会もありました。そちらで、他の参加者の方から寄せられた質疑も一部紹介します。
Q:やどかりの二人にとって、どんな経験だったと捉えていますか?
A:セクシャリティの異なる役柄を演じたことで少し距離がある。その一方で、生と死のギリギリにいる、という点では近くもある。近くて遠い、よくわからないけど、なんとなくわかる、という距離を測りながら向き合っていた。
Q:犀の角にとってはどんな経験でしたか?
A:劇場という場が、プロフェッショナルによるサービスの場、というだけでは地方劇場は立ち行かない。誰に届けるのか、誰とやるのか、ということを模索している。今回の戯曲は、当事者にしか出せないリアリティがあった。やどかりのメンバーと演劇を作る、というトライアルが形になったことの手応えは感じているが、本当になんだったのかは終わった後に見えてくるものだと思っている。
Q:出演者の終演後のフォローはどのように考えているのか。
A:出演者の中には、役を演じることによって、自分から離れることができていた側面もある。自分に戻ることが辛い、という話も出ている。次の上演を目指していきたいと思っているが、演劇に引き摺り込んでしまった責任は感じている。中毒的になっていく苦しい側面もある。自分から離れる方法を獲得したという点では、いい側面でもある。
Q:アーツカウンシルはどのように支援して、犀の角としてはどのような面で頼りにしているのか。
A:アーツカウンシル野村さん)アーツカウンシルとしては、状況に立ち会うことが基本的な関わり方。状況に立ち会っていくことで、相手とできる話が増える。困ったことがあったら相談ができるような関係性にどうしたらなれるのか、ということを考えている。もちろん金銭的な支援はするが、一緒に考えたり、求められた時に応えられるような関係性でありたいと思っている。チャネルを常に開けておくようなイメージ。
荒井さん)遠いところから視線を投げてくれたり、顔を出してくれる。その中で、文脈を追ってくれていて、様々なことをキャッチしてくれる。企画の話題だけではなく、「演劇とは?」「劇場とは?」という相談をしたりしている。
終わりに
個人的に、hanpo版で友役を演じた武居さんの目がすごく印象に残っています。初めは、どこか浮世離れして、焦点の合わなかった目が、飄々とした前半から、感情溢れる後半になるにつれて、戯曲と焦点が合っていき、とても切ない目つきに感じられました。
「ともだちが来た」は、男性同士の友情であり痛みを描いた戯曲であると感じます。友達の前で痛みを見せたくない、見せられない、という痛みにすごく共感しました。やどかりハウスの取り組みの中でも、女性の参加が多く、痛みを共有しやすいけど、男性はなかなか場に参加しづらい側面があるそうです。痛みを抱え込んだまま死んでしまった友と、武居さんの飄々とした、浮世離れした目線がとても印象に残っています。
受け取った表現が大きく、どう言葉にしたらいいのか分からないまま書き終えてしまったのですが、今後も、今回のプロジェクトがどのような展開を見せるのか、眼差していきたいと思います。
レポート:南澤諒真(受講者)
コーディネーター研修プログラム2026 フィールドワーク①
「助成事業視察@犀の角『ともだちが来た』」
日時:2026年8月29日(土)13:00-20:00
場所:犀の角









